エゴに包まれないために
人はどうしても自分の価値観でものをはかり、相手の立場に立って考えることを忘れてしまいがち。私にもそういうところがある。だから日々反省。
でもそれは人間として生まれた限り、仕方のないことだと私は思っている。開き直りではないよ。だって人は所詮人間でしかなく、修行を積み精進した結果、神に近づくことが出来たとしても、神にはなれないものだから。我こそは神になれるという傲慢な思い違いが、テロや戦争、金銭問題や社会問題を引き起こす要因となってるんじゃないかなと感じてるしね。
私にはいろんな友達がいる。中でも非常にありがたいのが、私に対して邪心のない率直な意見を、冷静に、客観的に、ストレートに言ってくれる友達。私の視野、そして心を広げてくれる大切な宝物だ。
最近友達って付き合う相手によりこんなにも変わってしまうのか…と寂しく思っていただけに、今日のランチの時に友達が言ってくれた優しく厳しい言葉が身にしみた。
美容と健康にいいルコラとチーズのサラダを二人でシェア。
愛にはいろんな種類がある。与える愛、受ける愛、博愛、慈愛、自己愛、偽善的な愛、無償の愛。
これからの私は押し付けの愛や見返りを求める愛や、誰かのために自分を犠牲にする愛、プライドに固執するための愛ではなく、私が私らしく、相手が相手らしく生きられるための、真実の愛を手に入れるために必要な“待つ愛”と“育てる愛”の力を養っていきたい。やんちゃで未熟な私が、一人前になるのを耐えて待っていてくれた両親の愛のように。
それと同時に“潔い愛”も大切にしたい。真実の愛に媚びや顔色伺いは必要ないから。
“親”という漢字は、木の側で立って見るという構成で成り立っている。木のそばで陰ながら見守る…そんな愛が、人を大人にするのに、すぐに手を貸し甘やかしてしまい、人の心が分からないモンスターチルドレンを作り出す大人の多いこと。漢字から学べることはとても多いのに、デジタル化が進んだせいで漢字そのものが持つ意味の深さになかなか気づけない、そんな時代を私たちは生きている。
愛に似た愛ではないものが、世の中にはびこりすぎ。だからこそ真実の愛を大切にしたいものだね。



